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大阪地方裁判所 昭和43年(わ)2470号・昭43年(わ)2626号 判決

以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。

〔判決理由〕(一部無罪の理由)

被告人中村和彦に対する業務上過失致傷被告事件の公訴事実(変更後の訴因)は、「被告人中村和彦は、自動車運転の業務に従事していたものであるが、昭和四三年七月二八日午後一〇時頃、普通乗用自動車を運転し、大阪市阿倍野区丸山通一丁目の府道大阪和泉々南線上時速約四五キロメートルで北進していたところ、当時颱風四号接近により風雨が強く、視界も悪かつたのであるから、自動車運転者としては適宜減速徐行するともに、前方左右を注視し、前方横断者等の早期発見に努め、もつて事故を未然に防止すべき業務上の注意義務があつたのに、これを怠り、先行するタクシーの約五メートル後方を追従し、同先行車の後部のみを見ながら、右前方の注視を欠いて、慢然同速度で進行した過失により、同区丸山通一丁目六番一号先にさしかかつた際、折柄前方道路を東から西に横断していた景山健一(当三七才)を早期に発見し得ず、同人を前方約三メートルの至近距離に初めて発見し、急制動措置をとつたが、間に合わず、自車前面右側で同人をはね、よつて同人に左腰部打撲骨盤骨折等の傷害を負わせたものである。」というのである。

関係証拠によると、被告人中村和彦は、昭和四三年七月二八日午後一〇時頃、台風四号の接近で風雨が相当に激しいなかを、普通乗用自動車(以下被告車という)を運転して、大阪市阿倍野区丸山通一丁目府道大阪和泉々南線(右道路は、平坦直線で、歩車道の区別があり、車道は南行北行とも三区分帯に分れ、後記本件事故現場以南の巾員は約16.6メートルである。)の北行車道第三区分帯を時速約四〇ないし四五キロメートルで北行車輛の流れにのつて北進していたが、四、五メートルの間隙で先行タクシーの直後に追従し、その動静にのみ注意し、進路右前方を注視しないで運転し、前記丸山通一丁目六番一号先にさしかかつたところ、右前方約2.8メートルの至近距離に、折柄右道路を東から西に横断中の景山健一を認め、直ちにブレーキを踏んだが間に合わず、被告車前面を同人に衝突させ、よつて同人に前示傷害を与えたことを認めることができる。

そこで、被告人中村和彦の過失の有無について検討してみるに、同被告人は本件事故当時先行タクシーの動静にのみ注意し、進路右前方を注視していなかつた事実を認めうるのであるが、果して、本件において同被告人が右前方注視を怠らなかつたならば、被害者を早期に発見し、本件事故の発生を未然に防止しえたか否かが問題であり、以下この点について判断する。

まず、本件における同被告人の前方注視義務の具体的内容について検討するに、関係証拠によると、本件事故現場付近の前記道路は歩行者横断禁止の区域であり、かつ本件事故現場の南方約六〇メートルの地点には立体横断歩道橋があり、また前記道路は大阪府下における主要幹線道路で幅員も広く(片側三車線)、本件事故現場付近における交通量は一般的に多く、本件事故当時も南行北行両車道とも車がひんぱんに走行していたことが認められる。このような道路を夜間、激しい風雨をついて横断すること、特に車輛の流れがとぎれている場合なら格別、つぎつぎと車輛が走行している間隙を通り抜けるようにして横断することは、歩行者にとつて交通法規に反するばかりか危険極りない無謀な行為であり、通常はまずありえない行為である。したがつて、右のような道路を走行する自動車運転者においては、かかる無謀な横断歩行者が何時現われるかも知れないと考えて右側前方を特に注視する義務はなく、ただ普通に前方を注視していて、このようなたまたま横断歩行者があることに気づいたときは、接触、衝突等の事故を起こさぬよう措置をとる義務があるに止まるものと考えられる。(ここで、弁護人主張のいわゆる信頼の原則に関する最高裁判所の判例との関係について付言すると、右判例(昭和四一年一二月二〇日判決、同四二年一〇月一三日判決)はいずれも車輛対車輛の場合に関するものであつて、右判例がいうところの、自動車運転者としては他の運転者が交通法規に従つた行動に出ることを期待し、これに信頼して運転すれば足りるという信頼の原則が、本件のような車輛対歩行者の場合にもそのまま適用があるとは考えられず、本件事故現場付近が歩行者横断禁止区域であるというだけでここを横断する歩行者に対し安全を確認する義務が自動車運転者に全くないと考えるわけではない。しかし、歩行者に対する安全の確保と同時に自動車の高速度交通の効用発揮という要請をも配慮しないわけにはいかないことを考えると、本件事故現場付近が横断禁止区域であることに加えて、前記認定のごとき諸事情がある場合においては、自動車運転者において前記のような無謀の横断歩行者のあることを予想して、これに対し特別の注意を払う義務はないと解するのが相当である。)。

次に、本件被害者の行動について検討してみるに、被害者が前記道路を東から西へ横断中被告車の右前方約2.8メートルの地点にあらわれたことは本件証拠上明らかであるが、それ以上に右地点に至るまでの具体的行動についてはこれを確定するに十分な証拠がない。しかし、本件事故当時南行車道には相当量の走行車輛があつたこと、被告車の前方4.5メートルには先行タクシーが北進中であつたのに、被害者がこれとは接触せず、被告車と先行タクシーとの間にわずかな間隙に入り込んできたこと、当時被害者が激しい雨のなかにもかかわらず雨具をもつていなかつたこと等関係証拠にあらわれた諸事情に照すと、被害者は車輛がつぎつぎと走行する南行車道を車輪の間を通り抜けるようにして急いで横断し、北行車輛に対する十分な安全確認をする余裕もなく、直ちに北行車道を横断しようとして突如として被告車の前面にあらわれたという可能性もかなり強いといわねばならない。

そして、本件事故の発生した道路は市街地にあたるため、附近の建物から洩れる燈火などに照らされてある程度の明るさがある場所であるが、本件事故当時は、夜間で風雨が激しかつたため、同被告人の視界の範囲は前方左右とも極めて狭かつたものと認められ、また当時南行車道を走行する対向車の数も相当に多かつたため、その方面に対する見通しは困難であり、ことに対向車のヘッドライトの光の間を縫つて横断して来る人の影は、被害者の服装が上衣は灰色の長袖シャツ、下衣は鼠色のズボンであつたことを考慮すると特に見通しが困難であつたことが認められる。

以上を総合すると、同被告人の横断歩行者に対する注意義務について前記のように解する以上、前記のように見通しの悪い本件事故現場付近においては、同被告人が、たとえ前方注視義務を怠らなかつたとしても、本件事故を未然に防止するための適宜な措置をとりうるに充分な時間的余裕(被告車の時速四〇キロないし四五キロを前提とすると、急制動をかけて事故発生を未然に防止するためには、少なくとも同被告人において前方約一六メートルないし一八メートルに雨でスリップすることを考慮してさらに数米を加算した距離において被害者を発見しなければならない)をもつて被害者を発見しえたかどうか、極めて疑わしいといわねばならない。

検察官は、同被告人が適宜減速の上前方左右の注視を怠らなかつたならば、本件事故発生を未然に防止しえた旨を主張するが、昭和四三年八月一日付実況見分調書(九丁のもの)によれば、前記道路の制限時速は、本件事故現場から僅か数メートル南の地点より以南が五〇キロで、以北が四〇キロであることが認められ、被告車の時速四〇ないし四五キロはまず制限時速内と考えられるところ、なるほど当時風雨が激しく見通しが困難であつたことを考えると、更に減速して走行することが最良の安全運転を期するため必要であつたと考えられないでもないが、本件事故現場付近が横断禁止区域であること、当時の北行車輛の流れがだいたい被告車と同一の速度であつて被告車も右の流れに乗つて進行していたこと等の事情を考慮すると、右減速義務があつたと断定しうるか疑問(たまたま事故を起こしたからといつて被告人にのみ減速を要求するのは酷である)である。また本件証拠を検討してみても時速二〇キロ乃至三〇キロに適宜減速したと仮定してみたところで、なお、本件事故当時における前記のような諸事情のもとにおいては、同被告人が、前方注視していさえすれば本件事故を未然に防止しうるに充分な時間的余裕をもつて、被害者を発見しえたに違いないという心証を形成することができない。

以上の次第で、本件公訴事実中被告人中村和彦に対する業務上過失傷害の点は、同被告人の過失を認定する証拠が充分でないので、犯罪の証明がないことに帰し、刑事訴訟法三三六条により同被告人に対し無罪の言渡をする。(松浦秀寿 黒田直行 中根勝士)

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